高速道路からは地上が見えない

インターネット上に、強烈なパーソナリティを求めるのは、基本的に間違っている。
一方で、ネットでいて、明らかに面白いサイトを見つけることも、それはある。
その製作者にとって、どんな利益があるのか想像も付かないが、
まさに自分が知りたかった、そのものを太っ腹に載せているようなサイトを見つけることがある。
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ネットに載るということは、載せられるフォーマットを持っていて、
それがある程度軽量で、収まるように切り取られてあるということだ。
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情報が溢れる高速道路の先には、パケット密度の限界が待っている。
現実の空間には、モニタに表示できる文字列とは比較にならない超密度の情報が、当然のように存在している。
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人は現実の生活の中で、文章を生む為の非常に豊かな環境の中に居る。
常に身体の各所から、複数の文脈を生む為の様々な情報が入って来ている。
文章を組むときは、それらをある基準に沿って拾っているだけだ。
散文形式の優れているところは、複数の並立した文脈同士を遮断しないところにある。
そしてテキストエディタには、散文を扱うだけの速記性がある。
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ゴミのようなガジェットを撒き散らすのも、悪いことじゃない。
それはただ軽いってだけで、軽いからこそ、誰にでも簡単に捌けるから。
いつだって、たいした事を言うわけじゃないんだ。
たいした事じゃないから、大事なんだ。それはただ意識の問題だから。
今すぐ生み出せる、小数点以下の成果だって、ゼロと比べたら遥かに価値がある。
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島(適切なツールのコレクション)を得るまで海(疎密度のネットワーク)は続く。
島を溶かして粘度が上がり、その先の話も出来るようになるだろうし、それはより優秀な誰かに伝播していく。
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できるだけ情報密度の多い環境でプログラミングを行う方が豊かな成果を得られる、というのは、XPによる考え方。
例えば何があるだろう?例えば、狭いエディタのウィンドウから、テキストを紙に写すこと。
たったそれだけの行いの過程で、気づかなかったダメが幾つかわかる。これこそが密度差による効果。
やってみるまでは、なんてわからないことだろう。