- 東方シリーズとスグリの話 - 同人シューティングゲームの良作から学べること

東方花映塚および東方シリーズとスグリの話。
どうしたら彼らのように優れたゲームが作れるのか?についての考察。
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・その半分が音楽でできているかのように感じられる。
・まともな体裁を整えるための技術を身に着けるためには、サウンド、プログラム、グラフィック、これら多岐にわたる分野に結構な時間を費やし、それはあてのないチャレンジになる。
しかしながら、要は何をしたいかの決め方の方針と、時間の問題といえる。
なによりもまず最初に、想像力を爆発させられるだけのインセンティブを持っているなら、これらの隣に並ぶものを作ることができる。
音楽がそれを助けているのだと思う。
・遊ぶ側としてみたとき、ボタンを押すリズムで遊ばされているような感覚があって、とりとめもないが楽しく、本質的に決まりきった形や、果てなどないものだと感じさせる。
・時間の浪費と、神経の鋭敏化との交換を行っているような感覚。
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個別に。
東方 - 日本人の抱えている、想像力の爆発と様式美の力を理解しているゲーム屋さん。作家として別格の領域。花映塚製品版の後半の進行は凄すぎ。
スグリ - 東方に通じる作り方のヒントを持ちながら、また筋の異なる優れた映像化を行っている。特に空間の広がりが凄い。体験版のシステムは荒っぽい部分も散見され、複雑さに詰まる危険を持った方向性だけれど、クリアな質感は記憶しておくに十分な価値。買おうか迷ってる。システムの磨かれ方によっては、恐れがなくなるのだけれど…。
他にも沢山ある - これから殊に増え続けるだろうと思える。
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どちらのタイトルも生まれは純粋なオリジナルとして立ち上がって来た。ゲームが良い物であると認められることによって、対価を得る市場が出来つつある。これによって道が通って、それがインセンティブに繋がり、ループが起こりつつある。
とは言っても、本当は東方だけなのではないかと思える。誰にでもこれが好きだとはっきりと言う事の出来るゲーム。
作家性と呼んで違和感のない、濃厚な仕事量。
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東方二次創作について。拝借に留まるなら、本家以下のパワーに留まるけど、萃夢想が証明したことは、ゲームとしてしっかりした土台を持っているなら、やはり肩を並べることが可能だ。
萃夢想やってると周りの人からオタクオタクいわれるけど、確かにそう、ゲームもより取り留めのない感じだけど、本家のほうはそうでもなく、ここには何か境界線があるのだと思う。)
PaulGrahamが語ったように、よいデザインは想像力を喚起するために、二次創作のバリエーションも有り得ない事になっている。
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ゲームを作ろうと思うなら、そこに困難な問題を見出すべきなんだ。
東方が解き明かした問題とは、ゲーム製作者は小説や絵画のように、作家になることが出来るということだ。
シューティングゲームに関しては、プログラミングを学ぶ上で沢山のオープンソースコードが現れてきた。
これは多くに人にとってはインパクトがない話だけど、誰にでも檻は開かれているんだと思えることが大事だ。
ためになるものを作ること。